久しぶりの記事です。
きまぐれテンプテーションはプレイ自体は発売日にしていて、終わった瞬間に心に思っていたことを直球に結末を書かないような短文をエロゲー批評空間に投稿していました。
一ヶ月ほど経って、結末に対して思っていることは変わらないものの、その直前の場面に対する感想というものが少し変わったので少し書きたいなと思ってこの場所を使うことにしました。

 ネタバレになるので続きで隠しておきます。
 まずはじめに、私の解釈は「約束のエンディング後に表示されるアンネリーゼと本編中のアンネリーゼは同一ではない」です。

 本編中のアンネリーゼはマンションの住人の願いから生まれた存在である。*1

*1
アンネリーゼ
「みんなの強い想いが、私を産んだ」

アンネリーゼ
「あたしは、みんなから産まれた。
 みんなの想いで、できている。
 だから……みんなと、少し繋がっている」


 一方で、エンディング後に表示されるアンネリーゼは悠久のイメージで産み出したアンネリーゼである。*2

*2
アンネリーゼ
「呪いじゃない、天使じゃない。
 悪魔アンネリーゼが、ダーリンの中にいる」

アンネリーゼ
「そのあたしは……今のあたしとは、
 ちょっと違うかもしれないけれど」

アンネリーゼ
「でも、ダーリンの中のあたしが、ほんとのあたし」

アンネリーゼ
「ダーリンの中のアンネリーゼを、産んで欲しい」


 住人の願いから生まれ、住人の影響から家族に執着する一方で、呪いたくないから死ぬべきだという影響も受け、その中で愛する人と死ぬまで生きてみたいという願いを持ったアンネリーゼとそのアンネリーゼが悠久に産んで欲しいと願い、悠久のイメージから産み出されたアンネリーゼは、由来も異なれば記憶の連続性もない似た姿を持った別人ではないだろうかというのが私の考えです。

 そこから、ラストのCGが私は悠久の人形遊びに見えてしまったということに加えて、悠久はイメージで作り出したアンネリーゼを偽だと否定してしまうのではないか、ということから後味の悪い終わり方だと感じています。

 プレイ直後はその印象だけが強かったのですが、なぜアンネリーゼが別のアンネリーゼを産んで欲しいと思ったのかについて夢想している内に、よりアンネリーゼが魅力的に感じる解釈を得たので書いておきたいと思いました。


 願いを叶えたアンネリーゼは呪いとして絶たれることを頼んだけれど、情を持ちすぎた悠久は仕事を果たすことができなかった。
 そんな悠久を見て呆れた顔をして、今の私とは違うかもしれないけれどあなたの心に残っている私を産んでと新たな願いを伝えたのはなぜだろうか。

 この願いは悠久がアンネリーゼに仕事を果たせないほどに情を強く持ってしまっていることを確認してから伝えているとともに、アンネリーゼ自身は産み出されたアンネリーゼが自身とは別人であることに自覚的であると考えます。

 自分とよく似た別人を生み出してとも読める願いは、自身のためというよりかは悠久のための願いであると読み取る方が自然に感じられます。

 では、この願いを告げることで悠久にとってどのようなためになるだろうか。

 情を持ったアンネリーゼの願いという新たな目的を与えることに加えてアンネリーゼ自身が産み出される別人のアンネリーゼをそれは別人ではなく本物であると肯定してあげること、これらのことはアンネリーゼを殺すことを躊躇っている悠久の背中を押すことを行っている。

 これは後押しだけにとどまらず、悠久がこの出来事に対する後悔で立ち止まってしまうことを防ぐことまで考えた行為でしょう。

 死にたくないけど死ななければならないといった状況で人を気遣っている行動がとても美しいと感じられました。

 とはいえ、最後のCGの幸福そうに見えつつも気味の悪いCGを素直に肯定できるわけでもないのですが、死の間際であっても悠久のことを考えていたアンネリーゼというキャラクターに対する好感度はより上がりましたし、良い作品だったとは強く感じています。



 攻略人数が1人であるロープライス尺である以上仕方がないのですがヒロインに共感や情を抱くといったものがしにくかった欠点もありましたし、長い尺でよりヒロインに共感や情を持てるような作品でこのようなものを見てみたいなあと思いました。